2007/3/31 土曜日

日本一の漆かき職人(インタビュー)

このインタビューは平成19年3月29日午後2時から約1時間にわたって行われました。
お話をうかがったのは、那珂川町健武にお住まいの漆かき職人『秋田稔』さんです。
聞き手は、松井幹彦(大山田上郷)と片山典一(馬頭)です。

この記事は、録音を元に作成しましたが、読みやすいように話題の前後を整理し、文章も修正を加えています。(内容の責任は、すべて筆者の松井幹彦にあります。)

● まず秋田さん自身のことを教えてください

秋田:いま、漆の生産者としては、私のところが日本で一番古いです。私で四代目ですが、私が中学三年のころまでは、遠方からも人を頼んでいました。輪島の方からも職人が私の家に来ていました。私が小学生のころには、おとなりの茨城県からもだいぶ職人が来ていました。

片山:茨城県は、漆の栽培を推奨する政策をとっていたようですね。また、福井県は漆かき職人が出稼ぎで全国に行っていたようです。とくに岩手県などが多かったようですが。

秋田:岩手県の浄法寺町(現・二戸市)ですね。いま日本で一番漆がとれています。日本の漆の70%ぐらいは、浄法寺でとれているんじゃないですか。

片山:栃木には、福井からも職人が来ていたのでしょうか。

秋田:うちの先祖が福井なんですよ。今立(現・越前市)です。明治20年ごろ、何人か職人をつれて、ここに移住してきたようです。自分で仕事をするだけでなく、元締めをしていたんです。

片山:ああ、やはり今立ですか。紙漉で有名ですね。

秋田:鯖江の近くです。福井から出てきて、この家を丸ごと買っちゃったわけです。この屋敷は、5反歩ぐらいありますよ、お墓だけで1反歩ありますから……。昔は???まだ車のない頃の話しですが???この家のすぐ脇が県道でした。

松井:すると、四代目ということは、こちらに移ってということですね。

秋田:そうです。秋田姓になって四代目です。福井から来たのが初代ということになります。2代目は水府村(茨城県久慈郡)から婿を取りました。三代目の私の父は、90歳近くなっていますが、父が盛んにやっていた終戦直後は、国で漆の輸出を奨励していました。だから、いくらでも売れたんですよね。そのすこし前は、軍艦の船底に塗るのも漆を使ったようです。

写真01 感謝状(昭和22年)と秋田さん
感謝状(昭和22年)と秋田さん

秋田:これが、水府村から婿に来た秋田子之松が受けた感謝状です。栃木県北部の組合長をやってたんで、うちに集めて供出したんですね。外貨を稼ぐために、日本産の漆を輸出していた時期です。時代はすっかり変わって、いまは、私一人で、売れる分だけ採るといった状況ですが。

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小山博物館の「漆器のあるくらし」というパンフレットを見せていただく。

秋田:これが博物館の展示パンフレットです。表紙が私です。平成2年です。

(松井注:このパンフレットは、まだ購入できるようです)
小山市立博物館
http://www5.city.oyama.tochigi.jp/hakubutu/

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● 日本の漆の現状

片山:黒田辰秋さん(人間国宝)のお弟子さんである建田良策(たけだ りょうさく)さんから聞いたお話ですが、普段は輸入物を使っているが、修復のときには国産の漆をつかわざるを得ない。そいうときに、性質の違いがわかる。両方使ってみると、国産の漆は格段に取り扱いが難しい。すでに自分たちの技術が輸入物に合わせるようになってしまっているので、だんだんと国産の漆を使えなくなってしまうのではないかと危惧している。ということでした。
また、黒田さんの息子さん(乾吉さん:故人)ですが、かつて自分たちで使う分は自分たちで栽培しようと唱えて、木を植えています。木を植えてから10年ぐらいかかるのでしょうか。

秋田:そうですね。育つのに8年ぐらいかかりますから。いつだったか、京都の方に良い苗を5本ぐらい送ったことがあります。同じ漆の木でも、やはり八溝系(※)の漆の木とは違いがあるようです。栃木北部と茨城の漆の木は、似ています。品質が良く、昔は少し値段が高かったんですよ。だんだんと岩手の方が有名になってしまいましたが……。町を挙げて知名度を高めるための政策をとったのが功を奏したようです。バブルの頃の話しですが、案内状を出して品評会などをして賞を授与するようなこともしていました。

※松井注:八溝山の麓の生態系

片山:いまはもうやってないんですか。

秋田:いまは、もうそんなに漆かき職人もいないし、まず売れる量が少ないなってしまったので。……以前のように、いくらでも売れるわけではないですから。

松井:それは値段が高くなってしまったからでしょうか。知り合いの木工芸をしている人の話では、中国産が90%を占めていて、価格は国産の1/10だそうですね。国産の漆の方が良いことが分かっているが、とても高くて使えないということですが。

秋田:いや、高くても安くても、そもそも使わなくなってしまったということですよ。もちろん、安い中国産の流通ができてしまっているということもあるでしょう。飛騨の高山あたりでも、もう国産の漆はそんなに使わないですから。昔は栃木、茨城から年間600貫くらい行っていたんですよ。

片山:別の資料ですが、すでに国産は2%しかないと書いてあります。何とかしないと!私は、その土地の文化を語る勉強会を予定しています。そこで秋田さんに、話しをしてもらいたいと思っています。

秋田:(政策的な保護をすることが必要ですが)国産の漆が全滅するまでは、日本の国は動かないのじゃないですか。

片山:……

秋田:漆の価格は、何十年か前の価格よりも安くなっています。材木と同じですよ。渋井さんもおなじでしょう(注:渋井家は筆者の実家)。

松井:そうですねぇ……。

秋田:(気分を変えて)私は、身延山の漆もとったことがあります。20年に一度の伊勢神宮(神宮式年遷宮)の漆もとったことがあります。

片山:自分で漆を塗ったりはしないんですか?

秋田:しないですね。昔は、忙しかったし、農家もしていましたから。こんにゃくなども作っていました。

(松井注:このあと、中島藤右衛門についての、こんにゃく談義がありました→省略)

秋田:そういえば、宇都宮大学の先生が生徒さんを連れて見学に来ますよ。このはがきの方です(松島さくら子先生の個展「漆のジュエリー」の案内はがき)。

松島さくら子 漆のジュエリー展
2007年4月5日(木)?4月14日(土)
http://event.craft-en.com/2007/03/post_f80b.html

秋田:今年は茂木の黒田と相川(茨城県大子町)の方をとります。見に来て良いですよ。

松井:ありがとうございます。周りでみられていると、気が散ってダメになることはないんでしょうか。

秋田:目をつぶっても大丈夫なぐらい慣れているので問題ありません。

????(秋田さんが資料を取りに行っている間の奥様との会話)

奥様:漆も生活に身近なところで使えると良いのですが、なかなかそうなりません。
松井:「環境に優しい」というようなところで見直されそうな気もしますが。
片山:長持ちするのだから、二代、三代まで使うという意識がでれば違ってくるでしょう。
奥様:漆は使えば使うほど光沢が出ます。しまっておいてはダメといいます。皮と同じですね。使いこなすとツヤが出てくるんです。

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● 漆かき職人の技術とは

松井:さきほどの栃木の木が良いという話しがありましたが、気候のせいでしょうか。

秋田:気候と土地でしょうね。

松井:採る人の技術によっても変わるのでしょうか?

秋田:それは、「かす」が多いというようなことはあります。

松井:なるほど、違いはそういう部分ですか。

片山:質そのものはあまり変わらないということですね。

秋田:うーん、多少の違いはあるでしょうが。たとえば、朝の漆と暑くなったときの漆とでは、また違いますから。

片山:そうですか。おもしろいですね。

秋田:朝早いと、道具が漆にくっつくんですね。暑くなって水分がなくなってくると???どちらかというと漆は水分がないと乾かないんですよ、だから室とかに入れて水分調整をしないといけないんですが???うわべだけ固まって中は乾いてこないということになります。

松井:そいうのは、調整しながら採るのでしょうか

秋田:いや、そういうことは考えません。

松井:じゃあ、ひたすらとれるだけ採るわけですね。

秋田:朝の明け方から初めて、10時の頃までには、半分ぐらいは採らないといけません。いまは車で移動できるので、採取する場所は、ある程度考えて順番を決めます。日当たり具合で、朝から暑いところには、午後に日がかげったら行くとか。

● 漆の木の量は足りているのか

片山:木はどれくらいあるのでしょう。採取にみあうだけの木があるのでしょうか。

秋田:木はいくらでもあります。十分に植えてありますから。1年に700本ぐらいかきますが、かき終わったらその木は切り倒してしまいます。

松井:また生えてくるんですよね、そこから。

秋田:ええ、あとから芽が出てきます。

片山:木が足りないということはないんですね。

秋田:それはないですね。昔は木が足りなくて苦労したのですが。……というのも、昔は、採れば採っただけ、いくらでも売れので、木が足りなかったんですね。いまは、どちらかというと、注文を受けてから採るという状況です。余分に採っても、売れなければ、質はどんどん落ちてしまいますから。

● 栃木・茨城の漆事情

秋田:いまでは、私がだいたい日本の10%ぐらいとってるんですよ。だから、いかに日本の漆が少ないかわかるでしょう。

松井:茨城の方には、何人もいるのではないですか。

秋田:茨城は、現在は、あんまりとれないんですよね。私のところの半分とれるかどうか、というところじゃないですか。

松井:え?、でも何人もいるのではないですか?

秋田:10本かいても漆かきだし、700本かいても漆かきですから……。茨城県の人は皆さん高齢なんです。70代の方が多いですね、おそらく。……だから、人数はいても、量はでないんです。それで生活しているわけではないし、しかも、いっぱいとれたからって、それが売れるわけじゃない。年金もらって、楽しみで、町の行事としてやっている人もいます。最近は、わたしの方が、大子の方までいってるんですよ。

片山:大子町では漆の教室をやっているみたいですね。

秋田:上岡の小学校跡をお借りしてやっています。私は、忙しいときは行けないのですが。

片山:(資料「日本漆組合の機関誌」を見て)京都は、5Kgしかとれていないですね。

秋田:その資料は古いので、いまはもっと少ないのではないでしょうか。

● 後継者はいない

松井:後継者はどうなっていますか?

秋田:後継者はいません。生活できないですから。漆かきで生活できるのなら良いのでしょうが。

片山:でも、需要はあるはずですよねぇ。流通ルートの問題なのかなぁ。

秋田:和歌山から東京の方は、ほどんど私が問屋に納めています。以前は富山の方も納めていたんですが、その問屋の人は年取ってやめてしまったので。

松井:あまりに工芸品だけになっているのが良くないのでは。もっと普段使いのものに使うようになると良いのでしょうね、

秋田:普段使いといえば、この家の柱と天井は漆を2回ぐらい塗ったんですよ。大工さんに「負けちゃうんでやめてくれ」といわれたので、そこまでにしましたが。これで20年ぐらいになるんですよ。

※ 松井注:秋田さんのお宅は、お寺のような立派なつくりの、とても大きな家です。太い柱や装飾を施した天井など、工芸品といってもよい処理が施されています。まさに、漆を塗る価値のある建物でした。

● 漆かきの道具は

松井:道具はどちらで手にいれるのでしょう?

秋田:青森県の田子町(三戸郡)というところの中畑さんという方からです。日本で作っているのは、もうこの方一人だけですね。長治郎さんという人が亡くなってしまったので、いまは息子さんがやっていると思います。昔は何社もあったのですが、その当時も、この方のものが一番良かったです。

松井:もちろん毎日研ぐんですよね。1年で使えなくなってしまうという話しを聞いたことがありますが。

秋田:そうですね。かき鎌は1年でおしまいですね。

松井:そうすると、毎年新調するわけですね。たいへんですねぇ。

秋田:道具をお見せしましょう。

????(道具を取りに行っている間の奥様との会話)

松井:道具も大変なんですよね。
奥様:そうですね、昔ながらの道具なので。
片山:近代的な道具があれば良いのですが、
松井:メジャーで測るわけでないが、微妙な幅や長さが重要なのでしょうね。
奥様:そうですね。逆に、道具自体をメジャー代わりにして測るときはありますね。

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写真02 実際の道具を見せていただいた
実際の道具を見せていただいた

秋田:これちらは皮をとる「えぐり」というやつです。そして、こちらが「かき鎌」、まだできあがっていないんですが。

片山:刃の方だけ作ってもらって、柄の方は自分で作るんですね。

秋田:そうです。この状態で来るんです。こちらは「へら」です。柄は自分で使いやすいように、工夫します。

秋田:これは昔使ったもので、枝漆をとる道具です。いまは、枝漆は質が落ちるのでとりませんが、以前は枝の部分だけを自宅に持ってきて漆をとりました。この道具は、使いおわった「かき鎌」を利用して作ります。日光の「漆の博物館」には、こういった道具が、たくさん飾ってあります。私が寄付したものです。小倉山というところですから、行ってみてください。

小西美術工藝社(日光)「うるし美術館」
http://www.urushimuseum.jp/

写真03 漆ツボ(新しいもの)
漆ツボ(新しいもの)

松井:(漆ツボを見て)これは木の皮ですよね。

秋田:それは朴の木の皮で、型に入れて丸めて柄を付けます。こちらが、使い終わった古いやつです。これを骨董品として、欲しいという人がいますよ。花器に使ったりするようです。

写真04 漆ツボ(使用したもの)
漆ツボ(使用したもの)

松井:これはすばらしいですね。

片山:これでどのくらい使っているのですか。

秋田:1年で1個使います。

松井:底はボンドでとめていますね。これで問題ないんですか?

秋田:本来は漆でとめるんですが、ボンドの方が簡単なのでそうしています。問題はないです。また、横からとめるのも昔は竹釘を使っていたのですが、いまは釘を使っています。本来はすべて自然のものでできるようになっているんですが。

秋田:ツボから空けるときは、このひもを絡めて柄にします。ひもは麻です。麻紐をよじってつくります。麻以外では漆で固まったときに折れ目で割れてしまいます。麻は漆の部分を割ると柔らかくなります。

● 天候と漆の関係

松井:漆をとっているときに雨が降ってきたらどうなりますか?

秋田:雨が入っちゃうとダメです。木がぬれちゃうと、もうダメなんです。木が腐ってしまいます。人間でいえば、ばい菌がはいって化膿したような状態になってしまうんです。

松井:じゃあ、雨が降ってきたらお休みですね。

秋田:とくに、土用までは注意が必要です。土用を過ぎると多少は木がぬれても大丈夫です。おもしろいものですよね、昔からの言い伝えです。だから、土用前はあまり深くかかないようにするんですが、木が弱いので、逆に深くなりやすいのです。土用を過ぎるとこんどは深くかかなくてはならないのに、木が堅くて深くかけなくなります。そこら辺の調整は微妙です。

松井:木の若さにも関係があるんでしょう?

秋田:ええ、あんまり若いと、こんどは皮が薄くてダメなんです。木が見かけ上どんなに大きくても、皮が薄いと、そこに漆が溜まらないのです。漆がでるためには、ある程度皮が厚くなっていないとダメです。

片山:中国と日本で漆の採取方法は同じなのでしょうか。

秋田:だいたい同じようです。ベトナムの方は違うみたいですが。

(注:冊子の写真で、採取法の違いを確認)

秋田:天気の良い日は、朝暗いうちから、夕方暗くなるまでやっています。5日目、5日目というパターンで回ります。このパターンを維持するのが大変です。この商売ができれば、何の商売でもできる、とよくいわれますよ(笑)。

松井:どうもありがとうございます。

片山:勉強会でぜひお話を聞かせてください。

秋田:10月すぎからなら時間ができるので勉強会でお話できると思います。

秋田:あと、漆の樽の蓋をする渋紙を持ってきます。烏山の和紙を使っています。私が、渋で、2枚貼り合わせて作ります。

写真05 漆を輸送する樽
漆を輸送する樽

(松井注)渋紙を入れてわっぱでとめる。また蓋を渋紙の上から直接打ち込むともある。さらに桶の上下を円板で挟んで(転がせるようにして)、輸送する。

こうして、興味深いお話しを頭いっぱいに詰め込んで、秋田さんのお宅をおいとましました。
季節は春。玄関前の木陰には、カタクリの花が満開でした。秋田さんにとっては、これから漆との新しい1年が始まろうとしています。

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『那珂川町発展計画』の関連ページ(2005/7/23の記事)
→ 私の自宅の漆畑

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【資料】

茨城県大子町・漆の紹介ページhttp://www.town.daigo.ibaraki.jp/k_s_info/spot/busan_mikaku/urushi/index.html

小西美術工藝社
http://www.konishi-da.jp/

文化庁の関連ページ
http://www.bunka.go.jp/1hogo/shoukai/senteihozon_kougei/urusi.html

福井県今立の漆かきについての情報
http://www.town.minobu.lg.jp/chosei/choushi/minobu/T16_C00_S20_1.htm

岩手県浄法寺漆生産組合の情報「文化賞・産業部門(畑山忠雄 組合長)」の部分を参照
http://www.iwate-np.co.jp/bunkataiku/bunka52.html

漆かきの体験日誌
http://urushibake.com/ture3.htm

拭き漆塗にチャレンジしてみたい人のための情報
http://takechan.jugem.cc/?eid=7

※ この記事はWebサイトにも載せました

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コメント (3) »

  1. ありがとうございました。
    秋田さんとは初対面の挨拶のつもりでいたんですが、いろいろと話を聞かせてもらって思わぬ収穫でした。

    話が苦手なこともあって、建田さんや黒田さんについて十分説明できなかったのでここで補足させていただきます。

    建田良策さんは、民芸運動のメンバーで後に人間国宝になった黒田辰秋に弟子入りを申し込んだそうです。しかし、辰秋さんが高齢ということで息子の黒田乾吉さんに師事することになりました。
    建田さんは、京都大学の薬学部を卒業して木工職人の道に入るという、少々変わった経歴の持ち主です。
    木工芸の仕事の傍ら、京都教育大で美術科の講師を勤めています。
    ご実家が古い町屋ということもあって、京都の町屋の再生と保存にも尽力しています。

    国産物と輸入物の漆の違いについてですが、門外漢ではっきりとしたことは判りませんが、国産の漆と輸入物の漆で扱いの難易度の違いは特にないのかもしれません。性質の違いから扱い方が変わってくるので職人泣かせだということのように思います。

    あらためて建田さんの名刺を見てみると「木漆工芸」「Wood crafts & Lacquer arts」と書かれていました。

    コメント by 片山 — 2007/4/1 日曜日 @ 15:43:41

  2. 片山さん、どうもありがとうございました。おかげさまで、貴重な記録を残すことができたのではないかと思います。

    黒田辰秋と建田さんの部分は、記述が正確でなかったようで、補足していただきありがとうございます。ホームページの方でも公開したので、そちらにはその旨のコメントを追加しておきます。

                  松井幹彦

    コメント by Matsui Mikihiko — 2007/4/2 月曜日 @ 8:13:19

  3. 秋田さんのお父様に関する記述につて

    最初にこの記事を発表した段階では「いま水府村に住んでいます」と書きましたが、これは、私のテープ起こしのミスでした。同じ敷地(那珂川町健武)の離れにお住まいだそうです。お詫びするとともに、この部分を4月5日に訂正したことを記しておきます。
    なお、お父様(大正7年生)もお母様(大正10年生)も、お元気とのことです。

    松井幹彦

    コメント by Matsui Mikihiko — 2007/4/6 金曜日 @ 5:25:07

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