このインタビューは平成19年3月29日午後2時から約1時間にわたって行われました。
お話をうかがったのは、那珂川町健武にお住まいの漆かき職人『秋田稔』さんです。
聞き手は、松井幹彦(大山田上郷)と片山典一(馬頭)です。
この記事は、録音を元に作成しましたが、読みやすいように話題の前後を整理し、文章も修正を加えています。(内容の責任は、すべて筆者の松井幹彦にあります。)
● まず秋田さん自身のことを教えてください
秋田:いま、漆の生産者としては、私のところが日本で一番古いです。私で四代目ですが、私が中学三年のころまでは、遠方からも人を頼んでいました。輪島の方からも職人が私の家に来ていました。私が小学生のころには、おとなりの茨城県からもだいぶ職人が来ていました。
片山:茨城県は、漆の栽培を推奨する政策をとっていたようですね。また、福井県は漆かき職人が出稼ぎで全国に行っていたようです。とくに岩手県などが多かったようですが。
秋田:岩手県の浄法寺町(現・二戸市)ですね。いま日本で一番漆がとれています。日本の漆の70%ぐらいは、浄法寺でとれているんじゃないですか。
片山:栃木には、福井からも職人が来ていたのでしょうか。
秋田:うちの先祖が福井なんですよ。今立(現・越前市)です。明治20年ごろ、何人か職人をつれて、ここに移住してきたようです。自分で仕事をするだけでなく、元締めをしていたんです。
片山:ああ、やはり今立ですか。紙漉で有名ですね。
秋田:鯖江の近くです。福井から出てきて、この家を丸ごと買っちゃったわけです。この屋敷は、5反歩ぐらいありますよ、お墓だけで1反歩ありますから……。昔は???まだ車のない頃の話しですが???この家のすぐ脇が県道でした。
松井:すると、四代目ということは、こちらに移ってということですね。
秋田:そうです。秋田姓になって四代目です。福井から来たのが初代ということになります。2代目は水府村(茨城県久慈郡)から婿を取りました。三代目の私の父は、90歳近くなっていますが、父が盛んにやっていた終戦直後は、国で漆の輸出を奨励していました。だから、いくらでも売れたんですよね。そのすこし前は、軍艦の船底に塗るのも漆を使ったようです。
秋田:これが、水府村から婿に来た秋田子之松が受けた感謝状です。栃木県北部の組合長をやってたんで、うちに集めて供出したんですね。外貨を稼ぐために、日本産の漆を輸出していた時期です。時代はすっかり変わって、いまは、私一人で、売れる分だけ採るといった状況ですが。
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